”普通”に生きるために”普通”を捨てる

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もう、前に進むしかない。

本当の意味で自分の力で生活していかなければならない。

5月からほぼ完全にフリー、自由業で生活することになりました。

 

今までの自分の人生を振り返ってみると、つくづく世間一般で言う”普通”が嫌なんだなと感じます。

まず、高校進学の時も普通科がどうしても嫌で(学力が低かったのもあるw)、商業科のある学校に入りました。
高校の時は幸い成績も良く、余裕で推薦で大学進学できたのですが、大学に進学するのも普通すぎると思い、コンピュータの専門学校に入学。
就職活動は普通にしたものの、入社後1年を過ぎたら会社の行事には全く参加しなくなりました。
飲み会は全て参加拒否。

テレビは低俗すぎて見る気にならない。
酒も一切飲まない。酒を飲むことを楽しみにしている人を見ると違和感しか感じない。

こんな性格なので、話が合う人が全くと言っていいほどいません。

逆に興味があるのは、生活の裏技的なこと、お金の稼ぎ方や節約の仕方、本を読むこと、
そしてロックを聴くこと。

これだけ書いてみると自分が世間的にまともな人間じゃないのが見えてきます。

 

そして我が国日本ではそういう、”普通”から抜け出そうとする人には徹底的に見えない圧力がかかります。
その圧力は仕事をしていても感じるし、両親ですらそういう圧力をかけてくるかもしれない。

そう、日本ではことの本質をひた隠しにする文化があるのです。

ある日仕事でお世話になっていた、尊敬すべき人にこんなことを言いました。
「何で10年も経ったら使えなくなるシステムを作らないといけないのですか?」と。
その返事が、
「それを言ったらあかんよ」です。

それを言われた当時は確かにそうだなと思っただけで済ませていましたが、
今考えてみるとこれが日本の現実なんだと思います。

まだまだ知識は浅いですが、日本や世界のことを本で読んでみると、
どうも国や会社に生活を頼るのはとんでもなくリスクが高いことであると思うようになりました。

逆にこちらが国や会社を利用するぐらいの気持ちで接していった方が、非常時にも対処しやすいように感じます。
今回の大地震のような最悪の事態が再び起こることを想定しながら生活していれば、
したたかにかつ、軽やかに現代社会を生き抜いていけるような気がします。

 

この1年は私自身、価値観の大変化が起こっています。
それは今も続いていて、視野が世界に広がってきています。

ヒッポファミリークラブを始めたのもそうですが、
スイス旅行に行ったのも人生を変える転機になっているのかもしれません。

昔は海外に出ることなんて全く考えていませんでしたが、今はあちこちの国に出掛けてみたいです。

妻も海外交流に興味があるので、出産後落ち着いたらまた旅をしたいですね。

 

私は世間一般で言う”普通”は嫌ですが、本当は普通に生きたいです。
後者の普通は自分の気持ちに素直に生きるということです。