学校教育と現代の生き方との関係について思うこと

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城繁幸さんの本を読みました。


キーワードで出てくるのが、”昭和的価値観”と”平成的価値観”。
”昭和的価値観”は若い頃にがむしゃらに働いていたら、そのリターンが20~30年後に来るという話で、
自我を押し殺して会社や組織、政府のために尽くすのが美徳とされていた時代です。

”平成的価値観”とは自我を押し殺して働くのではなく、自分の好きなように生きること。
会社でずっと働いていてもほとんどの場合は報われることがないですよ、という話です。

おおまかにはこんなことが書かれていました。

 

本題の現代の学校教育について。

自分が受けてきた学校教育は、完全に詰込み型でした。
授業ではテストに出るであろうところだけを教え、授業の先についてはふれることはあまりありませんでした。

学校を卒業して実際に働いてみたりすると、授業で学んだことが役立つことってほとんどありません。

ごくまれにはありますよ。
それを実感する科目は大抵、専門学校時代のクリエイティブな発想を学ぶ授業です。

まあ、そんなことはどうでもいいとして。

今はどうなのか本当のところはわかりませんが、学校に行って授業にも出る私の実感としては、
今も大して変わってないと思います。
高校卒業後はほとんどの人が大学に進学します。
それぞれに思いはあるでしょうが、必ずしも大学にこだわる必要があるのでしょうか。
異常なまでの大学進学率を考えると明らかに不自然では?と思います。
(そんなこという私もコンピュータの仕事がしたいというだけで専門学校に行きましたが・・・)

大学卒業まではほぼあらかじめ進むべき道が世間一般の暗黙の了解として決められているので、
ランクの上げ下げのみしか考えることがなくなっている気がします。

留学する人が出てきたり、起業してみたり・・・そんなことがもっとあっても面白いと思います。

そういえば先日、大学生と思われる人の会話を聞きました。
「入社したら1年目で700万円、2年目からは1000万円~」

何がしたいんだ。

心の中でそう思わざるをえませんでした。

何も考えずに就職したりするといずれ痛い目をみるような気がします。
実際私がそうでしたから。

何も考えず進学、就職のレールを進み続けていくうちにようやく何かがおかしいのではないかと気付くようになりました。
気付くきっかけが、当時勤めていた会社からの実質転勤勧告でした。
「東京に行ってくれないか」
私の感覚が東京を嫌がっていたので、全力で拒否したのと、幸運が重なりなんとか回避できましたが、
これ以降お互いに不信感を持ちながらなので居づらくなりましたね。

精神的にどんどん追いつめられてきたので、当初の予定よりも早く辞めました。

 

仕事を辞めたことで、新しい人と出会う機会が劇的に増えました。
最近は外に出るとあらゆるところで目撃されては声をかけられるようになりましたw
新たに家族ぐるみの付き合いができる友人もできました。

自分がどう生きていきたいか、何をしたいかを中心に考えていくことが
これからはとても大切なのではないかと思います。

私もまだ生き方がはっきりとは見えませんが、自分の心の声のままに生きるようにしてから、随分毎日が楽しくなりました。
我慢のしすぎははっきり言って、精神を壊してしまいます。

もし、学生さんが読まれていたら少し考えてみてください。
自分が進もうとしている道は固定概念にとらわれていないか。
本当にそれをする必要があるのか。